日々の吹き溜まり

日常の累積記録とメモ程度の読書記録

本当に怖いのは人間か?

ホラーだとかスプラッタを観る人は口を揃えて言う。

「本当に怖いのは霊でもゾンビでもなく人間だ」と。

 

それを聞くたびに、僕は本当か?と思うのである。

 

このブログを読んだり、ツイッター見たり、リアルでお付き合いしている人は知っていると思うが、僕は有神論者で、死後の世界と霊を信じている。

なので、本当に怖いのは人間などと、思っていないのである。

 

 

冒頭の台詞を唱える人は、見えてる人の話を嘘だと断定できるほど、この世界のことを知っているのか?というのがまず疑問である。

 

この世界のことを完全に何か把握している人間など、私はいないと思っている。

 

どれも少しずつ真実で、それも少しずつ間違っていて、どれを信じるかを、自分で決めるだけの話である。

 

彼らの考えでは、霊もゾンビもいない、もしくは、存在するとしても、人間界に影響を及ぼしていないと考えるのだろう。

 

 

 

 

確かに、人間は嘘を吐くし、人を騙すし、傷つけることもできるし、殺すこともできる。

 

人間は無害ではない。

時と場合によっては有害であることは否めない。

 

では、目に見えないものは、本当に無害なのだろうか。

 

見えない以上、証明することはできない。

 

漫画や映画なんかの、想像の世界の話になってくるが、見えないものが人を操れるとしたらどうだろうか。

 

見えないので認知は不可能だし、自分が操られているという意識もないだろう。

 

病気を引き起こしているのは、目に見えないウイルスや、細胞の劣化だ。

 

これだって、化学が発展したからこそ認知された事案で、昔は目に見えない霊や妖怪の仕業だった。

 

化学的に、霊や妖怪が原因ではないと実証されたが、じゃあ、そのウイルスはどうやって生まれうるのか。

 

目に見えないものが関連していないのか。

 

人間が見えないものに操られない保証もないし、見えないものが病気に本当に関連していないと証明できる人間はいない。

 

証明できるという人は、ただの持論でしかない、それは論理的な証明ではない。

 

 

 

 

悪魔、ないし、それに準じるもの、もしくは神。

 

彼らが、人間にとって無害だと、証明することもできないし、有害だと断じることも出来ない。

 

視えないものは存在を証明できないし、その行動も証明できないからだ。

 

しかし、僕は文明の理知というものを信じている。

 

人間は古来から、人間を超越するものや、死んだ人間が存在することを信じてきた。

 

どの国にも、宗教というのが存在する。

 

これは、視えざるものの存在を証明することにはならないだろうか。

 

死が恐ろしいという理由だけで、神というまったく架空の存在を作り上げるだろうか。

 

それを見たという人間が世界中にいて、また、どの時代にも視えるという人間がいて、まったく不在であるというのは証明できない。

 

ただ、それが神であるという保証もできないだろう。

 

少なくとも、目に見えない、一部の人間が感知できない何かがいる。

 

それは動かしようのない事実ではないだろうか。

 

才能だって、同じようなものだろう。音楽も数学もセンスがない人には理解できないが、わかる人にはわかる。

 

神や霊を視る力も、才能やセンスに左右されるのだろう。

 

だとしたら、無才な人間があれこれ言ったところで、ただの無知だ。

 

数学ができない人間が、数学なんか嘘だ、そんなものないと言ったところで、何の説得力もない。

 

視える人が、視えていて、いるというのだから、そこには何かがいるのだろう。

 

どの宗教も、視えざる何か、人間を超越した何かがいる、と教える。

 

それは神であったり、悪魔であったり、仏であったり、死者であったりする。

 

視える人も、それが何かはわからないのではないだろうか。

 

ただ、視えているというだけで。

 

 

 

本当に怖いのは人間だと信じるなら、それがあなたの宗教だろう。

 

だけど、本当に視えないものが無害だと思うのはやめた方がいい。

 

それを実証することなど不可能だ。

 

 

 

だって、本当に怖いものが人間だと感じているあなたの心が操られているならば。

 

そう思い込むように見えないものに操られているとしたら。

 

それをあなたが証明することなど、できないのだから。