日々の吹き溜まり

日常の累積記録とメモ程度の読書記録

若さに甘えることを辞めたヒトはカッコいい

昔から「跡部圭吾より年上になってしまった」だの「もう二十歳だ!」だの「三十路だ!」と年齢に悲観的な響きをきくたびに、年齢なんてただの数字じゃん、と美輪明宏の受け売りを心の中で返す。

それに、それを言うのが、若いとみられる人間だということも、いらだちを感じたりする。

 

高校生の時に美輪明宏の言葉に出会ったおかげで、私は年齢というものを深く考えておらず、自分が今、26歳なのか、27歳なのか、28歳なのか、考えないとわからない。

ひきこもってばかりで社会人じゃない、というのもあるだろうけど。

 

憧れの女性がいる。

まずは近くでいうなら、大叔母がそれにあたる。

父方の祖母の弟の奥さん。血の繋がりはないが、二年程いっしょに暮らしていた。

彼女は、まともな人間が一人もいない身内の中で、とてもバランスのいい女性だった。

デリケートな悩みでも、スッと聞き出してアドバイスをくれったり、励ましてくれたり、とても親身に私の面倒を見てくれた。

大人で私の親代わりを果たそうとする反面、とても無邪気に少女のように笑う時があって、その輝きに私は目を奪われた。

年齢を経ても失われない、確かな美しさが、そこにはあった。

彼女のあたたかい面差しを思い浮かべながら、私は、彼女のような女性になりたい、といつも思う。

 

 

いつも魅力に思うのは、年齢ゆえの落ち着きだったり、待つ余裕だ。

大叔母には一番憧れるけども、祖母も祖父も、年齢特有の深み、みたいなものがある。

若いうちはどんなに頑張っても手に入れられない。

 

「時間に嫉妬する。時間は待つことでしか得られない。欲しいと思っても、それを得るためには待たなければならない。」

そんな言葉を、どこかで聞いた気がする。経年劣化が、もっとも重要だ、と。

 

もう亡くなってしまったけど、雨宮まみだって、そういう書き手だった。

彼女の書いたものを読むたびに、どうして彼女が死んでしまったのかわからないな、と思う。

 

若い、新鮮なものが欲しいのなら、アイドルを眺めていればいい。

どうせ、いつかは誰しも失うものだ。美しく生まれても、その劣化からは逃れられない。

 

私は、大叔母が見せた無邪気な笑みの美しさが欲しい。

この人と話したい、心が和らぐ、と思ってもらえるような器の大きな女性になりたい。

そのためには清濁飲み込んで、年齢を重ねていくしかないのだろう。

 

そのために、つらい10代と20代があったのだろう。

あのつらさで死んでしまわずにいてよかった。

もしかしたら、この先、もっとつらい人生が待っているかもしれない。

それで命を失うかもしれない。

この先、何十年もアトピーと高コレステロール血症と、ほんのり残っている自殺願望と付き合って生きていく覚悟を、決めたい。

その先に得られるものなんて、大したものじゃないと思うけど、私にとっては大きなものであってほしい。

数年先の私が、生きていてよかった、と思っていることを、私は祈っている。

そして、若くない自分を、ちょっとでも好きになっているといい。