日々の吹き溜まり

日常の累積記録とメモ程度の読書記録

自殺が無くなればいい、というあほな願い事をしてみる

8月31日に自殺する小学生が多い、という話がツイッターで出回っていた。

そして、死ぬくらいなら学校に行かなくていいんだよというメッセージが、たくさん出回った。

 

僕も、そう思う。

だけど、大人がこぞってそういうのは、なんだか気持ち悪いと思ったのも事実だ。

 

だって、毎週月曜日の朝には、たくさんの大人が自殺しているのに。

 

自殺は、日本では社会問題だ。

高校の教科書でも載っていた。もう十年前の話だ。

十年も経つのに、自殺はちっとも社会から消えない。

 

いつも、自殺が報道されるたびに思う。

報道すれば自殺が増えるという研究結果が世界的に発表されて、どの国でも自殺報道は規制されるというのに、日本ではまったく無視だ。

自殺報道は消えない。

 

WHOの報告は厚生労働省のHPで見れる

www.mhlw.go.jp

 

2008年で止まっている。民主政権下か。

民主政権後、それまで上がっていた自殺者が減ったという話も聞くけど、誰かが何かで尽力したのは間違いないだろう。

 

なぜ自殺してはいけないのだろう。

 

事故死も天災による死も、それらはどうしようもない、と受け入れられる。

殺人による死は、加害者を憎むことが出来る。

 

じゃあ、自殺は?

止められなかった、思いとどまらせられなかった、遺族や知人が一生、悔いることになるだろう。

 

どんな死に方でも、死は、悔いが残る。

その中でも、自殺、というのは、どんな死よりも、周りに悲しみを残す死に方だ。

 

自殺という言葉を聞くだけで、私たちの胸は痛む。

結局、自殺がダメな理由なんて、私たちが悲しいから、という理由でしかない。

なんて情緒的で曖昧な理由なんだろう。

 

高校時代、私は死にたかった。

死にたい理由なんて、生きることが苦しいからに決まっている。

幸せになれない、と絶望しているからだ。

生きるのが怖くて、苦しいから、死んでしまうんじゃないだろうか。

でも、その死にたいという叫びは、同じくらい生きたいという叫びだ。

 

それを掬い取ってくれる人たちが減ってる

つらい時間をやり過ごす居場所が、どんどん減っている。

居場所が無くなってしまえば、帰りたいと思う場所がなければ、人間は死んでしまう。

 

自殺を失くすために必要なのは、そういう追い詰められた人の居場所づくりなんじゃないか。

死にたい人たちに、死ぬなというのは逆効果に思える。

 

とにかく、ここにいていいんだよ、と、いつでもおいで、と言ってくれる場所が、あればいい。

図書館だけしか、そういう場所がないなんて、窮屈すぎる世の中から、どうにか変わってほしい。

 

自殺なんて文字も見たくない、

言葉も聞きたくないんだよ。