日々の吹き溜まり

日常の累積記録とメモ程度の読書記録

贈り物

本とか、服とか、好みのものはいくらでも自分で選べる。

むしろ選ぶことが楽しかったりする。

 

だけど、必要なので買うとなると、ついつい値段重視だったり、嫌いじゃないくらいの消極的な理由で選ぶことになる。

妥協、というか。

そうなると、あとから使い勝手に不満が出てきたり、見るたびに盛り下がるなんてことが私はある。

 

だけど、こういう不満が出てこないことがある。

人からもらったものだ。

 

人からもらったものになると、必要だった場合、とても嬉しい。

選んでくれたというだけで価値が出てくる。

逆に、自分の趣味の範囲で贈り物をされると好みじゃないけど置いておかないといけなくて捨てづらくて困るなんてことも出てくる。

だけど、必要なものや、ちょっと欲しいなと思うけど優先順位が後回しになっていたもの、だと、とても嬉しかったりする。

そして、その物をとても大事にできる気がする。

 

物を買うという行為は、ただの消費活動だけど、贈ったり贈られたりすることになると、とても意味を持つことになる。

いろんな人がいる。

物をもらったこと自体に重きを置いてもらったものを大事にする人もいれば、要るものか要らないものかで判断して簡単に捨てる人もいるし、打算で少しだけ使って捨てたりする人だったり。

贈る方も、性格が出るし、関係性によっては、送ることが前提になってしまうこともある。

10代の子供や恋人同士になると、とても難しい。

気持ちが嬉しいなんて言いながら、本当は要らなかったんだなという気持ちが伝わってきて悲しい思いをしたこともあるし、逆に、好きそうだなぁと軽い気持ちで買ったお土産に、ものすごく喜ばれたこともある。

 

贈り物って、ギャンブルみたいだ。

喜んでくれた時のことを忘れられずに、つい贈り物をしてしまう。

 

最初はハズレばかりで上手くいかなかった贈り物も、関係性が深くなってくると、ちゃんと必要なものを聞いて贈れるようになる。

そういう積み重ねが大事なんだと、最近思う。

面倒で嫌なだけなら、きっとこんなことは続かないだろう。

贈り物をするような関係があることは、面倒だけど幸せなことだ。

言語ではないコミュニケーション、相手のことを想ってる、気持ちのやり取りだ。

 

 

私は、最近、募金箱を見つけたら寄付をするようにしてる。

どんなに最低な社会でも、私はこの、日本という国に育ててもらった。

母子家庭で、なんとか14歳まで生きのびて、父親とうまくいかなくて毎日死にたかったけど、学校という逃げ場に助けられていた。

日本という国は大嫌いだけど、この国で生きている人は大好きだ。

そのことの恩返しに、私は少しだけ、ほんの気持ちだけど寄付をする。

そのお金で、誰かが笑ってくれればいいなと願いを込めて。

私から、社会への、ほんの少しの、贈り物だ。