日々の吹き溜まり

日常の累積記録とメモ程度の読書記録

私と祖母

関心と無関心が適度な量である、というのは、かなり重要なことかもしれない。
そして、人によって、居心地の良さも違うんじゃないだろうか。

 

 

祖母の愛情に戸惑うことがある。
私は、なんとなく祖母のことが嫌いだった。言葉にするとキツいけれど、疎ましいのだ、なんだか。気持ち悪い、というのも近いかもしれない。とにかく、大好きでも、好きでもない。残酷なことに。下手したら、利用価値があるくらいにしか考えてないかもしれない。合わないのだ、何もかも、感覚が。
祖母もそうなんじゃないかなって考えていた。お母さんがいないからね、お母さん代わりなのよ、というのも鬱陶しかった。そして、私の前で母親の悪口を言う無神経さが、何よりも気に障る。その無神経さに気付かず、私のことを注意することも。だから、私は、祖母に反抗してしまう。祖母が傷つく言葉を選んで口にしてしまう。そんな自分も大嫌いだった。
大学を卒業して、行く場所がなくて、一カ月ほど滞在して、祖父母の家に滞在した。私が家を発つときに、祖母は泣き出した。驚いてしまった。永遠の別れでもあるまいし、問題児の私のことなんか、仕方ないから面倒を見ているのだと思っていた。

隣で弟が「手がかかる子ほどかわいいんや」とフォローを入れた。弟よ、おまえは何なんだ?と思ったけど、祖母の号泣に飲まれていた私は、曖昧に笑った。困惑していた。

祖母は非常に愛情深い人間なのだ。

こんなに残酷で問題しかない私のことも、孫というだけで、こんなに深く愛せる人なのだ。

そう思ったら、何もかもを許せるようになった。

祖母が、私の母の悪口を言うも聞き流せるようになったし、お節介をありがたく受け取れるようにもなった。

そうやって、眺めていると、祖母の愛情も確かに孫ということがきっかけだったけれど、こうやって愛されて育った年月は、確かに私の糧になっていた。

今でも、祖母のことは苦手だ。

でも、それでも、祖母の愛情を受け取って、私は生きてる。生きていられる。

だから、誕生日に電話もするし、三か月おきくらいに、できるだけ遊びに行く。

祖母のことは傷つけてしまうけど、それで祖母は死んだりしないことを私は知ってる。それよりも、祖母にとって、私は大事なかわいい唯一の女の子の孫なのだ。孫というだけで愛せる理由になり得ることは未だに理解はできないけど、できるだけ愛情には応えたいって思ってる。