日々の吹き溜まり

日常の累積記録とメモ程度の読書記録

他力本願の人は苦手

某チャットに入り浸ってるんだけど、そこで話した人。

某有名企業に勤めていて、業績の悪化が報道されるから不安だと。

自分で考えて決断するしかないよ、と伝えたんだけど、なんかそれが嫌みたいで、うわべの返事をするから、しょうみ困った。

貯金もあるし、現状、特に悪いわけでもないけど、会社の将来が不安とこぼすので、何が大事か考えなよと言ったんだけど。

なんて言ってほしかったんやろうな。

チャット切る割には、何度も当たるので、そのたびに口調を変えたり、切り口を変えたりしたんだけど。

不安は自分でどうにかするしかないという話をすると、そうですかと、冷めた返事をする。

自分の不安を、誰かがどうにかしてくれるとでも思ってるんだろうか。

親も生活にいっぱいいっぱいだから助けを求められないし、普通の生活できなくなったらどうしようって。

普通の生活ってなんやねん。喧嘩売ってんのか?

今、生活できてるやん、そこそこの貯金あって、某有名企業なんやからいくらでもスキルも磨ける場所にいて、甘えんなよ。

別に弱音吐くなとは言わないけど、自分のことくらい自分で決めてくれ。

自分で未来を決められない不安を押し付けるなよ。

 

選択って苦痛だとは思うけど、それでも自分で決めやなあかんし、どうせ自分で何したいかは決まってるんやろうな。

自分が欲しい答えを話してくれる誰かに当たればいいよね。

しかしまあ、ジャグラーじゃないんだし、数うちゃ当たるなんていうことはないので。

 

自分で考える頭がない人は、どうやって生きてきたんだろうなぁ、と不思議に思う。

親のご機嫌伺いばっかりしてたんやろうか。それなら可哀想やなと思うけど。

 

どんなかたちにしろ、自分で選んできた人生やし、何があっても受け止めないと仕方ないと思うんだけどな。

視野が狭くて、他力本願の人って、幼いし、話すのはいややな。面白くないわ。

ブラック企業とか過労死とか

ブラック企業で働く人は真面目すぎるし、自分に自信がないという話を読んだ。

働くことを拒否して専業主婦をしている自分には関係ないといえば、関係ない。

だけど、旦那は黒に近い灰色だなと思うところで働いているし、友人の公務員なんかもブラック状態で働いていた話も聞いてる。

間接的には、やはり関係あることだと思うし、最近考えていることがもし真実なら、むしろ直接的な問題かもしれない、と思って題材にブログに選んだ。

結局、ブラック企業に勤め続けたり、死んでしまうのは、愛着問題なんじゃないかって。

 

 今読んでいる本。

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

 

 

私自身、愛着で一悶着ある。

詳しくは省くけれど、母親に捨てられて、父親と疎遠と書けば十分だろう。

 

それに気付かされた本は以下である。 

パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)

パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)

 

 

過去に自分自身が大切にできないことについて、非常に悩んでいた。

鬱病じゃないのは、はっきりわかっていた。

眠れるし、食べられるから。

それでも、自傷癖は治まらないし、面倒でご飯を食べられなくて痩せてしまったり、お酒におぼれてしまったり、何かと不安定だった。

周りに迷惑をかけてしまうレベルだったから、何故なのか、ずっと気になっていたけど、この本を読んで、はっきりとわかった。

自己愛の欠如はどうしようもないと受け入れたことで、それも抱えていかないといけないという覚悟も出来ると、少しだけ、自分を大切にできるようになった気がした。

こんな自分でも必死で生きてきたんだ、と思ったら、自分のことが嫌いで仕方なかったのに、少しだけ愛せるようになった気がする。

もちろん、そんなものは、あやふやな気持ちだから、気を抜いたら、また向こう側に行くかもしれない。

特に安全基地にしているのが旦那だから、その愛情をどうやって繋いでいくかは非常に重要だと思ってる。

それだけは弁えていかないとなぁ、と思う。

 

 

最初に紹介した本によると、普通の家庭でも、愛着に問題を抱えている人はいるらしい。

最近の某企業の過労自殺についても、母親の行動には少し違和感がする。

根本的に自己愛の欠如を抱えていて、それに過労が重なったことで死んでしまったのが、本当のところなんじゃないかと思うのだ。

もちろん、これは想像にすぎないことはわかっている。

 

自己愛の欠如は、本当にどうしようもない。

死ぬことを実行するほどじゃないけど、自己嫌悪に振り回されるし、生きている価値があるのかと延々と問いだしてしまう。

仲良くしている人に、こんな自分が生きていてごめんねと仲良くしてくれてありがたいと過剰に思ってしまう。

 

きっと、そんな思いがあるから、迷惑かけると思うと、ブラック企業も辞められないし、鬱病になっても普段の自分と思考があまり変わらないから、気付かずに死に引き寄せられてしまうんじゃないだろうか。

自分なんか死んでもいいんじゃないか、と考えているのかもしれない。

 

だから、ブラック企業から、逃げられない人にかける言葉は、ブラック企業から逃げろではなくて、あなたが心配で見ていられないのだと、伝えた方がいいんじゃないだろうか。

自己愛が欠如してるなら、愛されてないと思ってるし、他人には自分なんてどうでもいいと思っている。

あなたのことが大事なんだよ、つらい思いをしてたら傷付くよ、と伝えるだけで、少しは現状について、考えるんじゃないだろうか。

そして、失敗しても支えてあげるよ、という気持ちだけでも伝えてあげたら、最高だと思う。

 

ひとりはさみしい

結婚して、仕事も行かずに、だらだらと本を読んでいる。

毎日淋しいけど、不満はないので、とてもしあわせなことだ。

この前、チャットで知らない人に、専業主婦だというと、うらやましい、と言われた。

ニートみたいなものですよ、と言ったけど、ぜんぜんちがうよ、と返ってきた。

私には、違いがわからない。

 

 

毎日、なにをやってるんだろうと、よく考える。

生きているだけで許されている状況はありがたいけども、それを許されない人たちがたくさんいるのに。

ただの運と巡り合わせで、私はここにいる。

 

 

 

夫の愛情に甘やかされて、何もかもを許されて、夫を消費しながら生きているのだ、とても罪深く思える。

夫にはもっとふさわしい人がいたんじゃないかと考えることは結婚してから止めたけれど、夫の献身は、たまに怖くなるのだ。

夫は、僕は早く死ぬから、と言う。

そりゃそーだよな。私が、あなたの命を食べているんだから。仕方ないことだ。

 

夫があくせく働いている時間、私はネットを徘徊して、好きな本を読んで、適当にご飯を食べて。

だから、ひとりがさみしいなんて、弱音を吐くのは、とても贅沢だし、わがままな話なのだろう。

ずっと一緒にいたいから、ずっと一緒にいて、ずっと一緒にいるために結婚という社会契約を結んだ。

それなのに、ちっとも一緒にいられない。

 

本当は、夫じゃなくてもいいんだと思う。

親友や幼馴染が話を聞いてくれたり、同じ空間にいるだけでも満足できるだろう。

でも、みんな働いている。

私だけが宙に浮いたように、一人、ここにいる。

薄暗い部屋で一人、パソコンに向かって。