日々の吹き溜まり

日常の累積記録とメモ程度の読書記録

アトピー性皮膚炎に悩んで

 

今、私はアトピーに苦しんでる。アトピー性皮膚炎。よくわからない皮膚炎。

近年、かかっている人が急激に増えているという。私も最近、自分が罹患しているせいもあってか、街中でよく目につく。

 

皮膚のことは、子供の頃から、祖母や叔母がうるさかった。

遺伝で、乾燥肌にアトピー性皮膚炎の危険があったせいだろう。

女の子はきれいでいなくてはならない、だから手入れしなさい、保湿をしっかりと、口が酸っぱくなるほど言われた。

自分は母ほど美しくないのだし、どうでもええやん、と思いつつ、年長者の言うことは聞かないとなぁ、と思いつつ、手入れをしてきた。

もともと肌がきれいだったおかげで、まあ褒められることも多かったし、それが若干の自信になっていた。

その後、二十歳になって、アトピーが一気に爆発してから、ずるずると症状が緩和したり悪化したりが繰り返されている。

一気に、自信は消えうせた。

女の子はきれいでいなくてはならない。それが呪いになって、私を蝕むようになった。

 

幸い、私は専業主婦で、出掛けなくてもいい身分だし、旦那は私の容姿に興味がないので、普段、容姿について意識することはない。

しかし、出掛けると、美しいきれいな肌を見て、絶望する。

どうして、私だけ。どうして、こんなに醜いのか。どうして。どうして。

疑問がぐるぐると頭を巡って、涙がぽろぽろ流れてくる。

顔をあげて歩けない。人と目を合わせられない。

生きてて、ごめんなさい、と謝りたくなる。

はやく死にたい、消えたい、と浮かんでは消える。

はやく家に帰りたい、と、ずっと口にする。

剥がれた皮膚が宙を舞う。自分が汚いものに思えて、一気に情けなくなる。

外出中、ずっと、そういう気分で、帰ってきたらぐったりとしてしまう。

 

アトピーに特効薬はない。

ステロイドで症状を抑えたり、食事療法を試したり、ハーブティーを試したり、有機野菜を試したり、漢方を試したり、海水浴を試したり、温泉水を飲んでみたり、運動してみたり。

まるで占いのようだ。ガンのでたらめ療法みたいに情報が錯そうしている。

 

アトピーには指数があって、血液検査してもらったが、こんなに症状が重くなるはずがない数値なのだ。

お腹が弱いわけでもなく、冷え性が酷いわけでもなく、甘いものが好きなわけでもないし、医者も首をかしげる

ストレスかね、と、わっかりやすく曖昧なことを言われる。

 

うんざりしながら、アトピーと付き合い続けて、もう七年が経ってしまった。

毎日、つらい。死んでしまいたい。

アトピーは身体のアンテナ、毒素を出して病気にならないようにしてるんだよ、これ以上同じ生活を続けたら病気になるサイン、なんて言葉もあるが。そんなことをしてまで生きのびたくない。

死んでしまいたいという気持ちだけで死ねたら、どんなに楽だろう。

自殺するわけにもいかないし、なんとか毎日生きてるけど。

いつか、きれいにアトピーが治る日が来るだろうか。

その日が来る、と信じなければ、生きていられない。

「役に立たない人間は死ぬべきです」という人を黙らせたい

私は、頭の悪い人間は嫌いだ。

そういうと、こいつ頭がいいのか、とか、何をイキッてるんだか、とか、いろいろ思われそうだ。まあ、そんなことはどうでもいい。

私は頭が悪いという人間は、自分が正しいと信じている人間だ。自分のことを微塵も疑わない人間は嫌いである。

とはいえ、正しいと信じることは大事だし、疑心暗鬼で自分が信じられないのは不健全なので、バランスは大事だ。少し、自分を疑ってるくらいでいる人なら、別に問題ない。自省がないことが、頭の悪い人間に思えてしまう。

誰かに正しいとか共感されてしまうと、自分が正しいと思ってしまう弱さもあることも事実なんだけど、まあ、それは仕方ない話だ。誰にでも起こり得る。

誰かに指摘されて「そうかな?」と再度、自問できるくらいなら問題ないと思うが、躍起になって怒りだしたり、だって「〇〇さんが…」と責任転嫁の思考停止の答えを出すなら、ちょっと黙ってほしい。

 

で、役に立たない人間だ。

自分が役に立っているのか、というか、役に立つというのはどういう状況だよ?と聞きたいんだが。

私は専業主婦だ。しかも、子なしの。

実際はニートとそう変わらないと思ってる。

だから、きっと、私のことを、子供を産まないでぶらぶらしていると叩きたい人もいるだろうと思っている。社会に役に立たない、と。

しかし、私が子供を産んだらどうだろう?

きっと、少子化に貢献してくれて、とか、子供がいる生活良いよね、とか、言われるんだろう。

他にも、家にいながら、アイデア商品のヒットを連発させたなんてことにはならないと思うけど、他の専業主婦さんならあるかもしれない。

将来のことは誰にもわからない。

 

役に立たないなんて、現時点で、勝手に役に立たないとレッテルを貼ったに過ぎない。

将来、その人がすごい会社を起ち上げて、裕福な人が増えたとしたらどうだろう。きっと、手のひらを返すんだろう。そもそも、役に立たないなんて発言も忘れてしまうかもしれない。

その可能性がない、と言外に断言できるあたりが、傲慢と言わずに何なんだろう。未来や将来のことは自分のことですら予測できないのに、現時点で役に立たないから切り捨てるって、短絡的にもほどがある。他人をモノか何かだと思っているんだろうか。

 

実のところ、私は役に立たない人間なんかいない、と考えている。

生きている限り、私たちは誰かの役に立っている。何故って、消費個体の一つだからだ。

何かを買って消費すること、お客さんであること、それは社会に繋がる限り、必要なことだ。

何も買わずに、一カ月を生きるなんてことはできない。自分が買わなくても、誰かが買って、それを共有しているはずだ。

物が売れないと、会社は存続できない。物を買う人がいるから、社会は成り立っている。人は生き続ける限り、モノを買う。社会と繋がり続ける。

だから、消費行動をする限り、人は役に立ち続けているけど、死んだら、本当に役に立たなくなる。死体は物を買わない。

だから、役に立たない人間はいないのだ。

売れるものを作れる人は、役に立ちすぎて、目立つけれど、それはレアな人種だ。

人は、基本的には、存在しているだけで、ちゃんと役に立つ。それ以外の行動で役に立つのはすごく難しいことだと思う。

私は旦那という、たった一人のために生きているけど、そのたった一人のために役に立つのも、相当難しい。

昨日も、旦那に濡れた頭を乾かしてとねだられたけど、腹が立っていたので放棄した。

役に立たないと死なないといけないなら、この時点で私は殺されているわけだ。

旦那が、暴君でなくてよかった。

しかし、自分と直接関係ないからって、死ぬべきなんて暴論を吐く人間こそ、消費行動以外で役立つことが出来てないんじゃないか。

そんな辛辣な言葉をネットの感想で書き込むなんて、善い人間なはずがない。

善い人間は「役に立たない人間は死ぬべき」なんか言わないはずだ。

こういう、頭が悪い人で、自分が嫌いになりそうな人間になることだけは避けたいな、と思う、今日この頃であった。

贈り物

本とか、服とか、好みのものはいくらでも自分で選べる。

むしろ選ぶことが楽しかったりする。

 

だけど、必要なので買うとなると、ついつい値段重視だったり、嫌いじゃないくらいの消極的な理由で選ぶことになる。

妥協、というか。

そうなると、あとから使い勝手に不満が出てきたり、見るたびに盛り下がるなんてことが私はある。

 

だけど、こういう不満が出てこないことがある。

人からもらったものだ。

 

人からもらったものになると、必要だった場合、とても嬉しい。

選んでくれたというだけで価値が出てくる。

逆に、自分の趣味の範囲で贈り物をされると好みじゃないけど置いておかないといけなくて捨てづらくて困るなんてことも出てくる。

だけど、必要なものや、ちょっと欲しいなと思うけど優先順位が後回しになっていたもの、だと、とても嬉しかったりする。

そして、その物をとても大事にできる気がする。

 

物を買うという行為は、ただの消費活動だけど、贈ったり贈られたりすることになると、とても意味を持つことになる。

いろんな人がいる。

物をもらったこと自体に重きを置いてもらったものを大事にする人もいれば、要るものか要らないものかで判断して簡単に捨てる人もいるし、打算で少しだけ使って捨てたりする人だったり。

贈る方も、性格が出るし、関係性によっては、送ることが前提になってしまうこともある。

10代の子供や恋人同士になると、とても難しい。

気持ちが嬉しいなんて言いながら、本当は要らなかったんだなという気持ちが伝わってきて悲しい思いをしたこともあるし、逆に、好きそうだなぁと軽い気持ちで買ったお土産に、ものすごく喜ばれたこともある。

 

贈り物って、ギャンブルみたいだ。

喜んでくれた時のことを忘れられずに、つい贈り物をしてしまう。

 

最初はハズレばかりで上手くいかなかった贈り物も、関係性が深くなってくると、ちゃんと必要なものを聞いて贈れるようになる。

そういう積み重ねが大事なんだと、最近思う。

面倒で嫌なだけなら、きっとこんなことは続かないだろう。

贈り物をするような関係があることは、面倒だけど幸せなことだ。

言語ではないコミュニケーション、相手のことを想ってる、気持ちのやり取りだ。

 

 

私は、最近、募金箱を見つけたら寄付をするようにしてる。

どんなに最低な社会でも、私はこの、日本という国に育ててもらった。

母子家庭で、なんとか14歳まで生きのびて、父親とうまくいかなくて毎日死にたかったけど、学校という逃げ場に助けられていた。

日本という国は大嫌いだけど、この国で生きている人は大好きだ。

そのことの恩返しに、私は少しだけ、ほんの気持ちだけど寄付をする。

そのお金で、誰かが笑ってくれればいいなと願いを込めて。

私から、社会への、ほんの少しの、贈り物だ。